長島有里枝 セルフ・ポートレイト DASHWOOD BOOKS 2020年 ソフトカバー サイズ:184×120mm
日本人写真家、長島有里枝の作品集。
2017年、東京都写真美術館で開催された個展「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々」で展示された新作のひとつに、700点近いセルフポートレイトからなるスライドショーがありました。
『Self-portraits』は、そのなかから作家本人が選び抜いた、24年分のセルフポートレイトを集めた写真集。 1992年、バックパッカーとして旅をしていた学生時代のモノクロ作品から始まる本書は、アーチストとして知られるきっかけとなる初期のヌード作品や、90年代東京の空気を伝えるストリートでのセットアップ、カリフォルニア芸術大学留学中に撮影された写真へと続きます。帰国し、親となった2000年代以降にも、長島はセルフポートレイトを撮り続けています。 巻頭に収録された、アパーチャーファウンデーションのクリエイティブダイレクター、レスリー・A・マーティン(Lesley A. Martin)との対談で長島は、これらのセルフポートレイトはアクティビズムの一形態であると述べています。
また、特に初期の作品を指して、自らを被写体としてヌードグラビアや写真集のパロディーを撮ることは「わたしにとっては、女性の身体に向けられる男性社会からの視線がどのようなものであるかに言及するための方法」なのだともいいます。 「ヘアヌード写真ブームがとにかく許せなくて、動機がなんであれ、男の目的のために女が消費されるなんてあり得ない」という長島は、”自分の身体は自分のもの” だという主張あるいは主体としての女性のありかたを、独自の表現でわたしたちに提示します。
「特にフェミズムの文脈において、セルフポートレートでは作者と主題、両方の役割を自分で果たします。長らく育まれてきた、写真表現における性別役割分担への抵抗を、象徴しているんです。」 初期の作品に顕著であるパフォーマティブな側面は、シークエンスが進むにつれて次第に個人の日記のような印象を強めるように見えます。しかしそれも、幼い子や犬の姿が画面に登場する頻度が減り、ついに見られなくなる頃には再び、インスタグラムなどのSNSから生まれた「セルフィー」や「映え」のような、2010年代以降の新しい写真文化に対抗的な、スナップショットなのかセットアップなのかを一概には判別できない、コンセプチュアルな作品へと移行していきます。 「写真はほぼ時系列に並んでいるから、わたしの変化がわかりやすいと思います。撮影方法、レンズそして機材。コンパクトフィルムカメラも4x5も、よく使うようになったのは子供が生まれてから。自分の経験や環境が変わると、主題も変わります。
出産を機に、フェミニズム的な問題を取り上げて作品にすることが多くなり、2011年の原発事故を機に、自国の政治により目を向けるようになりました。個人的な興味や加齢によっても、主題は変わりました。 若いときは、自分の身体は自分のものだから好きなように使っていいと思っていましたけれど、息子が生まれてその考えは完全に変わりました。セットアップであれ、スナップショットであれ、わたしの写真はとてもパーソナルな作品だと思います。」(twelvebooks)
*新刊です。